愛着障害は自分を映す鏡の障害

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愛着障害に関する書籍、動画は多く、この言葉を耳にしたことがある人は少なくないと思う。この3年間は愛着について意識することが増え、勉強会を立ち上げて学んでいる。2月14日には、愛着の精神療法のひとつとされるメンタライゼーションの学会が開催される。メンタライゼーションの大御所であるフォナギー先生、ベイトマン先生が登壇されるとのことで、非常に楽しみだ。

愛着障害に興味を持つ人、または自分が愛着障害ではないかと思う人は、恐らく慢性的な自信のなさ、人間関係で疲れやすい、物事が続けられないなどの悩みを抱えていることが多い。HSPやAC(アダルトチルドレン)との重複もある。本屋に行くと、実にたくさんの関連書籍があることに驚く。私自信、さまざまな書籍を読み漁って思うことは、いまいち愛着についての捉え方がしっくりこない。

昨年から1年かけてデイビット・ウォーリン先生の書籍を読書会で学んできたが、愛着とは養育者の応答性(反応)に大きく影響される。「愛情を感じる」という考え方とは少し違う。我々は、他人の反応を見て自分を知る傾向がある。今日の出来事を語り、聞き手がうなづき、目を合わせ、適度に質問してくれれば、自分は話しても大丈夫だと思えるし、今日あった出来事を思い出して、感情を整理していくことができる。もし、聞き手が無反応であれば、今日の出来事は語るに足らない事柄となり、自分の感情に目を向ける習慣はなくなっていくかもしれない。聞き手が過剰反応すれば、その反応に圧倒され、自分の内面が見えにくくなってしまう。人は鏡であり、人の反応を見て、我々は自分の心を知る。自分の心がわかっている人は、情緒的に安定しているとされ、不安定になっても回復が早い。

これは、カウンセリングに訪れる方々が自分の心(心的表象と言う)を理解する、つまり、自分が望んでいたこと、目を背けていたこと、失っていたことを語る過程で起こる。話すだけでいいのかと思う方が少なくないが、話すことは非常に労力のいることだ(もちろん、意味のある労力だが)。1人では自分の表彰を知ることができない。なぜかと言うと、普段通りに感じている自分しか見えないからだ。人の反応を見ないと、自分がわからないので、適度な応答性を持った人が必要になる。自分の心を知ることをメンタライゼーションと言う。

愛着障害のひとつの特徴は、鏡となる養育者が不在、鏡の精度に問題(映らない、映しすぎ)により、自分の心が見えないことにある。自分が見えないので、過度に努力したり、求めたりになりやすく、その結果としてうつ病、不安症、身体の不調として表出される。もう一つは、愛着とは養育者との関係のテンプレートであり、親との関わり方を成人期に持ち越すことだ。これは自分にとっては当たり前のことで気づきにくかったり、自分自身のあり方や人間関係に何を期待していいかがわからず、完璧主義的になったり、自責的になる人が多い。今回は説明を省くが、愛着安定型、愛着囚われ型、愛着軽視型、愛着無秩序型に分類される。これは、親子関係、配偶者、上司との関係に反映されていることがあり、見直していくと人生観はかなり変わることになる。カウンセリングの中でも、このテンプレートが再生されることがある。愛着を修復するとすると、過去の養育者との関わりを変えないといけないと思う方がいるが、必ずしもそうではなく、誰かと健全で安定した関係を構築する術を学ぶことでも再獲得できる。

愛着の考え方は非常に奥深く、自己理解、他者理解において有用だと思う。書籍の中にある語句が非常に難解であったり、愛着が安全、保護のみに集中している(愛着には分離、自立を促すという側面もある)ことなどが今後の課題だと感じる。

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