愛を手に入れられない理由

愛着・心理発達

愛されたいと願うのは自然なことだ。自然体でいられること、大切にされること、共感してもらえることは、人にとって必要不可欠だ。ところが、この愛を手に入れられないことに悩み、葛藤し、絶望する人がいる。話を聞いてみると、愛されたい相手に、自分なりに尽くしたり、気を利かせたりしている。それでも、自分が望む心地よい受容を経験することがない。どうしてなのだろうか?

心理学的な説明は実にたくさんのだが、その中の一つに100%の愛を求めることが挙げられる。特に幼少期に、受容された経験が乏しいと、誰かが無償の愛を提供してくれるはずだという夢を抱きやすい。辛いことではあるのだが、完全と思える愛にも賞味期限があり、その甘い味はずっと続かない。すると、愛されていない部分ばかりが目につき、耐え難い気持ちになる。その耐え難さは、幼少期の頃からの痛みも相まって大変辛いものになる。

足りない愛に激怒すれば、当然相手は遠ざかっていく。愛されること自体を放棄し、自立と自己完結に生きる人もいる。二度と期待した愛が得られないことに失望しなくて済むからだ。愛を求めるが故に、愛されるか、否かを試したくなる人もいる。段々に試し行動が過剰になり、その行動が癖のようになってしまうことすらある。その時点で目的が分からなくっている。結果的に、相手は疲弊し、愛は遠ざかる。この試し行動の背景には、自分が愛されるはずがないという思いがある。愛されないことは辛いことだから、今度こそ大丈夫だろうかと根拠を探す。その疑いは簡単に振り払えないため、失望する結果となる。そして、やっぱり自分は愛されないのだという確認は、抑うつが代償として沸き起こる。

これには、自分を愛する練習をしていく必要がある。依存せず、突き放さない誰かに力を借りながら、元に戻ってしまうときには諭してもらい、うまく行った時にはその喜びを共有する。1人でできると思う人が多いのだが、1人だとそのペースはとても遅い。人は元の状態に戻ろうとする性質を持っている。それは、辛かったり、不利益があるものであってもなのだ。それが難しければ、自分を愛している人を見つけることだ。胡散臭く見えたり、腹が立つこともあるだろうが、少しずつ真似てみるといい。

自分に優しく生きる、楽に生きることで、広がる世界があることに気づけた時、徐々に辛い生き方を手放すことができる。逆に、愛されないことへの恨みと呪いに戻ることは容易い。あそうやって生き延びてきのたからであって、自分を責める必要はない。そうせざるを得なかった理由にも向き合い、散々に痛めつけてきた自分を許すことができたら、きっと自由になれるはずだ。

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