愛着障害カウンセリング

愛着・心理発達

「愛着障害」とネット検索をすると、実に多くの病院、カウンセラーのサイトがヒットする。人々の生きにくさを代弁するかのようなこの言葉は、HSP、アダルトチルドレンなどにも共通するものがある。それが故に、様々な情報が乱立し、様々なサービスも提供されている。メールカウンセリングや数日間のプログラムで克服に至ると謳ったものもあるが、愛着障害の定義上、短期間、かつ単独で回復するのは理にかなっていないように思えてならない。そうは言っても、求める人がいるからこそ、成立するビジネスと言えるだろうか。

私が愛着に興味を持ったのは、4年ほど前だ。それまではあまり意識することはなく、関与していた死別研究の中で取り扱うくらいだった。精神科から、神経内科、耳鼻咽喉科にカウンセリングの対象が移っていった時、これまでのカウンセリングアプローチがうまくいかなくなった。それまでの私のアプローチは、協同的な関係を構築して、症状に立ち向かっていくやり方だった。多くの症例で効果を実感していたし、患者さんたちの満足度もそこそこだったと思う。

私が難しいと感じるようになったのは、葛藤や感情について語ることへの関心が薄い一方で、感情が長引きやすく、過剰なほどに努力と自己完結を信条とする方々だった。私が投げかける質問に答えることは、非常に負担になっているようだった。このことをきっかけに、アレキシサイミア(失感情症)、異邦人(高橋和巳先生が定義する被虐者)、メンタライゼーション、愛着障害などを学ぶことになった。愛着障害の定義や用語は、理解が難しく、読書会を形成して数名の有志とディスカッションをしながら学んでいった。被虐臨床で著名な先生方とも交流を持つようになり、随分と症例の見立て方も変わった。

愛着障害のカウンセリングとは、「内面を語ることができるようになること」を目指す。しかし、様々な経緯で周囲の他者との対話が希薄であったり、極端な反応を受けていたりする関係で、語ることが難しいのが愛着障害の特徴である。通常は、カウンセラーは真っ白なキャンバスとして語られる言葉を受け止めていく(つまり意見やフィードバックをしない)。愛着障害に関しては、治療者の反応(言葉)を手がかりに、内面を模索しながら表現してもらうことがある。極端に治療者が話し倒すのはどうかと思うが、時々は、見解を伝えたり、治療者の主観を提示することもあり得る。

人間の情動は、言語化して声として発し、相手の反応と自分との見解が一致していく作業の中で落ち着いていく。生じる2者間のズレを埋めていく作業が、信頼関係となるだけでなく、「語るという新たな習慣」の始まりとなる。よく安全基地という言葉が愛着を説明する際に使用されるが、愛着は丸抱えすることではない。ある程度、ゆとりのある人に聞いてもらう、主導してもらう、心地よさを共有する、だんだん自分でやってみる、1人でできた心地よさを共有する、という作業の連続体である。安全基地とは、帰還する場所であり、拠点にして外に出ていくことを可能にする発進基地でもある。

やや難しいことを書き綴ったが、このような作業をしていくと、これまでに軽減しなかった精神症状や身体症状が、春になって溶け出す雪のように変容していくことがある。1人で解決した方が楽だし、気を使わなくて済むのだが、この「対人関係を使った感情調整」は、実の所、人間の脳にもっとも適した方法であることに、徐々に気づいていくことと思う。

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