孤独

愛着・心理発達

コロナ禍となり、オンラインがより一般的になったが、その一方で、ちょっとした人との関わりやコミュニケーションを持つ機会は激変しているのではないだろうか。たわいもない会話は、重要度は低いかもしれないが、なんとなく皆と繋がっている、ちょっとした気持ちの表現をする時間はとても持ちにくい。人と話す機会が減ることは、心理学的に、精神医学的にも、健康への影響が示唆されている。この話に共感してくれる人は一定数いると思うが、今回の話は、人と話すことへの意義と必要を見出さない人に向けた話だ。

私は、どちらかというと、積極的に人と話したり、繋がりを求めるよりは、機会を待つことが多い人間だ。今は職業柄、人と話すトレーニングを積み重ねたこともあり、話すことにはだいぶ慣れた。しかしながら、自己主張をしたり、情報を発信することには、ためらいを覚える方なのだ。そういったこともあり、人の中にいて感じる違和感、孤立感を抱えながら、人との対話を試みている。こういった違和感を全く持たない人もいる。そういう意味では、このような感覚を持つことを、有益なことに昇華させていきたいとも思うのだ。

人と話すことに意味を感じない人には、それなりの理由があるものだ。信じられないかもしれないが、人は、基本的に誰かに理解をされたいと思うのが自然だ。そう聞いて、抵抗やためらいを感じるのは、話してよかったと思える経験があまりないからではないだろうか。話さなければ、誤解も批判もされない。自分の話などせず、自分でやった方が早いかもしれないし、自己効力感も維持できるかもしれない。誰かを頼るほど、馬鹿げたことはないと思う人もいるだろうか。

今の時代は、個人主義的であり、集団に埋没することから、主体性に脱却することが求められているように感じる。アドラー心理学も、排他的な集団に属し、無意味と思える慣習に従うことへのフラストレーションから、多くの人が支持したのではないかと思う。人はどうしても二極化する傾向がある。つまり極端になるのだ。疎外感を感じた人は、2度と人に頼らず、人に期待しないと思うようになる。人と関わるのは負担もリスクもあるのだが、やはり人間は、孤立すると平安でいることは非常に難しい。

思考は反芻しやすくなり、気づかない間に無理をし、非効率的な問題解決に慣れてしまい、気づいた時にはひどく健康を害することにもつながる。疎外感は、対処として孤立を選択させるが、孤立している人は健康を害しやすくなる。それでも、人の中に出ていくことがひどく億劫ならば、どこかで学んだ疎外感が癒される必要がある。私は、人と話す必要性を感じないと言い切る人とよく話す。私と話すことによって、話すことはそれほどは悪くない経験なんだと気づいてくれた時、ちょっとした喜びがある。

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