誰も信じられない

愛着・心理発達

誰かを深く信用して裏切られたり、失望したりすることはないだろうか。絶対にこの人は嘘をつかない、浮気をしない、自分を大切にしてくれると信じたのに、その逆の行動を目撃してしまったり、聞いてしまうと、疑心暗鬼になってその人を信じることができなくなる。それ自体は当然のことだが、誰に対しても信じることができない、心を許すことができないという人がいる。今回は、その理由と解決方法について考えてみたい。

そもそも信じるというのは、どういうことか?それは、対象となる人を安全であると見なすことである。安全だと思うから、近づき、委ね、頼るのだ。安全である場合、概ねその人の反応や考え方はいつも同じであり、たとえ違ったとしても、関係を修復できる。例えば、転んで足を痛めたときに、つまづいた石がなければよかったと言って慰められたとしよう。本心は、石ではなく、気づけなかった自分を責めていたとする。その時に、安全であれば、違うんだよ、石のことは考えていなくて、自分の判断が受け入れられないんだと説明し、誤解を解くことができる。こうすることで、意見を言える、見解がズレても修復できるという経験値が溜まっていき、お互いの理解度が高まっていく。これが、信じられるという状態だ。

人を信じられない人は、この信頼を構築するプロセスの中で、ひどい痛手を追ったか、信じることの無意味さを心底味わった経験を持っている。遊園地に連れて行ってあげると約束をしたのに、当日、約束を忘れていたり、機嫌が悪いことを理由にドタキャンされたらどうだろうか?期待するとバカを見る、期待してがっかりするより、自分自身を頼りにした方がまだましだと思うようになるのではないだろうか?頼ろうと思うことに危機感を覚え、依存心を抱くことを嫌悪するかもしれない。このような不信感を持つ人は、絶えず自己完結であり、自分でできるという感覚で自分を保つ。

それ自体は悪いことではないが、自分を頼りにすることが過剰になると、燃え尽きたり、不安を紛らわすための行動を取るようになる。キャパを超えたストレスがかかると、その行動が嗜癖となり、抑えが効かなくなる。時に、それは、依存症であったり、強迫性障害、摂食障害として出現することがある。

解決策は、シンプルだが、時間がかかる。それは、自己完結の限界を認め、人に限界を露呈していくことだ。すると、かつての裏切られたり、失望した感覚がフラッシュバックするため、自己完結が必要なものにより思えてくる。少しずつ、なぜ信じなくなったのかについての説明をつけていくと、本来自分が求めているものが明らかになっていき、そんな中で変化が起こってくることが多いように思う。

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