夫婦間の自他境界線

対人関係・愛着

親子関係とともに、夫婦関係こそ、自他境界線の混乱が問題化しやすい状況といえる。なぜかと言うと、結婚生活は共有するものが多岐にわたるからだ。自宅、貯金、家事、食事、時間など、その割合は各家庭によって異なるものの、何らかの共有部分が生じることになる。そうすると、どこまでが自分のものか、どこからが互いのものかという互いの領域の線引きが必要になる。このお互いの線引きが、双方に過度な負担がなく、互いに有益性があるという両立ができた夫婦は、幸せであるといえるのかもしれない。しかしながら、この絶妙なバランスを構築するには、幾度も試行錯誤を続け、自己開示し、忍耐し、粘り強く交渉し合う果てに起こり得る。そうは言っても、パートナーの虐待や不倫にも耐え、相手の悪を肯定し続けることとは違う。それでは、夫婦間の自他境界線の例を示してみたい。

① 感情の共有

人間である以上、誰もが感情を持っている。感情豊かな人もいれば、感情よりも理性を重んじる人もいるだろう。感情は葛藤を知らせるアラームであるため、基本的には感情を無視し続けることができないよう人間はできている。感情を無視すれば、何かで感情を埋め合わせるか、感情を感じずに済むような努力を耐えず行う必要がある。感情は体の中で起きていることなので、言葉にしないと正確には伝わらない。感情を過度に抑圧すると、相手は気づかずに望まない行動をし続けるかもしれない。逆に、感情を爆発させ、怒鳴る、暴力を振るうなどすると、相手は警戒心を強めるか、反発することになる。感情の表出は、出しすぎるか、我慢しすぎるかの両極になることが通常だ。感情表出が激しすぎる人は、「侵害された」と考えやすいことが多いので、他人の評価は「あくまでその人の価値観」であると考える練習をすると良い。感情表出が苦手な人は、感情表出をすることで相手は理解がしやすくなり、気を遣わずにすむ人になっていけるのだと心に留めていくと良い。

② 所有物の共有

夫婦である以上、何かを共有することは必ず生じることになるが、共有しすぎることとしなさすぎることが問題に発展する。基本的に、時間の感覚も、金銭感覚も、性に対する考え方も、双方が独自のルールを持っている。互いのルールの違いに直面すると、怒りや失望が生じることは自然なことだが、ここから攻撃や無視で自他境界線の主張を始める夫婦もいる。頼まれると断れない人は、求められるままに与え続け、どこかで限界がやってくる。耐え続けた末に行き着く限界は、パートナーに対する嫌悪感、拒絶感となっていくため、気づいた時には関係の再構築ができないことが多い。断るのに理由がない、嫌だけれど正当な理由がないと考えて耐える人がいるが、まずは「気が進まない」と言ってみることが重要であり、理由がなくても、「理由はわからないけれど嫌なんだ」と伝えればよい。このように伝えて、相手が一旦手を引いてくれたり、理由を聞いてくえるのであれば、未来は明るい。ここで、罪悪感を抱くような主張(そうなってしまうこともあるのだが)があるとするならば、それは、そのパートナーの怒りと喪失感が背景にある。信頼関係は、崩壊と再構築により強められると覚えておくと良い。

③ 全てはバランスの問題

他方が我慢し、もう一方が要求をし続ける。その果てに、大きな衝突が起きることは、珍しいことではない。大なり小なり、このような衝突は、誰もが経験していることでもある。自分と違う価値観を持つ相手に対して、「そう言う視点もあるのだ」と思える視点こそが、人間の成熟であるといえる。しかし、世界中を見渡しても、戦争や紛争が絶えず、折り合いがつかないのだから、違う価値観が共存することが難しいのは明らかだ。ただ、どこに行っても、誰もが異なる価値観と感情を持っているので、自分のなかで折り合いのついた関係を持っていることは、大きなデーターベスになる。とは言っても、夫婦関係は、このような正論だけで成り立たないところがある。暴力、浪費、性生活などの問題は、心身のダメージも大きく、パートナーに自他境界線を尊重する能力が著しく欠如している場合には、物理的な距離をとらなくてはいけないこともある。少なくとも、関係を断絶せずとも、相手の有害な行動の容認をやめることが解決への第一歩になるだろう(恐怖感が強い場合、その一歩を踏み出すまでがとても大変なことであるから)。

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