死別にいかに向き合うか?

対人関係・愛着

私が臨床心理士を志した背景には、母との死別があった。母は、家族旅行の途中にくも膜下出血で倒れ、そのまま他界した。当時の私は26歳で、人があっけなく死んでしまう現実に驚愕した。何よりも、当たり前に続くと思っていた日常と関係が突然崩壊することで、私の世界観は大きく変わることになった。もちろん、死別は悲しいことなのだが、故人の不在がもたらす影響は多岐にわたる。

死には、人が克服し得ない不可逆性がある。死後の世界、天国、生まれ変わりなど、故人の行き先に関しては、いろいろな考え方がある。それにしても、故人の体がなくなってしまった世界は、全く違う世界のように感じられるかもしれない。本当にいなくなったのか?と、何度も自問しては、その現実を目の当たりにすることもあるだろう。故人の不在は、その人を通じてつながっていた関係、場所、その人との関係性、その人と自分が共有していた思いなど、実に多岐にわたる喪失をもたらす。

その人がいない世界は、実に新しい世界で、いろいろな様式が異なるのだ。今までのやり方が通用しない。だから、手探りで、戸惑いながら、あたらしい世界への適応を迫られる。同時に、大切な人であればあるほど、悲しみは大きくなる。いなくなってしまったことや運命に対する怒りもあるかもしれない。今後の見通しが経たないことへの不安や、残された家族の感情の感じ方の相違も、経験されるかもしれない。こういった感情にいかに向き合っていくか、悲しみそのものにどのような意味を見出していくかも、重要な喪の作業となる。

悲しみは辛い感情だが、悲しみをなくすことが解決ではない。その逆で、悲しみを味わいつつ、故人の記憶を記憶に留めていくことが重要である。泣くと涙は流れるが、故人の良いところも悪いところも思い出しつつ、感謝しつつ、不在を噛み締めつつ、あたらしい世界に適応することを悲嘆という。そして、この悲しみを誰かと共有することで、悲嘆は進んでいく。悲しみを見せたら相手は戸惑うのではないか、故人の死を軽視されるのではないかと不安を覚える人もいるかも知れない。確かに、故人の話ができる場所は、そう多くはないかも知れない。もし、あなたが大切な人との別れを経験していたら、安全に故人の話ができる場所にたどり着けることを切に願う。

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