Noを言う違和感(自他境界線)

対人関係・愛着

度重なる拒絶に傷ついてきたり、感情的になる誰かを宥めてきた人は、相手の要求を断ることに嫌悪感罪悪感を覚えるかもしれない。もしかすると、自分が我慢したり、先回りして動いてしまった方が楽だったかもしれない。ただ、この生き方には、どこかで限界が生じるものだ。自分が何を求めているのかわからなくなったり、突然沸き起こる絶望感虚無感(抑うつとして経験されることもある)が沸き起ったりする。このような状態にある人は、抑うつは限界を示すサインであり、何かを改めるタイミングであると捉えてもらうとよいのかもしれない。

Noを言わないと自分が壊れてしまう理解しても、なかなかNoを言い出すのは難しいものだ。Yesを言い続けること、Noを言わないことで、安全か維持されてきた過去がある場合には、特にそうなる。何に対してNoを言えばいいのかわからない人もいるだろう。この場合、少しずつ自分の気持ちを言葉にしていき、何が心地よいのかそうでないのかを明らかにさせていくと良い。そうすることで、「これは好き」、「これは嫌い」と区別がつくようになる。

YesとNoの基準ができると、No(自分の好みや希望)を持つことがわがままに思えたり、今まで耐えてきた怒りが見え隠れするようになる。この状態は、なかなかにきついものがある。やっぱり、Noは言わない方が自分らしいのではないか、今更違う生き方は選べないのではないかという疑念も生まれる。とはいえ、自分を抑えていくことも非常に辛いため、大きな葛藤が生じる。この葛藤を乗り越えるには、葛藤を見守ってくれ、なおかつ、過去の自分に戻りたくなる自分を指摘してくれる存在が役に立つ。

Noをいうと、わがままな人になるのではないか、自分を批判したり、拒絶した人たちと同じようになるのではないかという質問を受けることがある。Noを言うことは、確かに人を拒絶することにはなり得る。通常は、Noを言うことで、関係は修復可能であり、お互いにNoを言う中で、両者にとって心地よい距離感ができていく。そうならない関係では、Noを言うと激しい拒絶を受けたり、不利になるような仕打ちがよく起こっている。これを愛着剥奪と言ったり、「操作する(Yesと言うように仕向ける)」と言ったりする。

Noを言うけれども、Noを受け入れられない人もいる。親子、夫婦、職場関係などでも、よくあることだろう。これは、他人が自分の思い通りにならないという自他境界線の問題が背景にある。自他境界線は、自分と他人とが明確に違うという経験をもとに構築される。過度な叱責や支配を受けた人は、自分の心が相手の心と同等と錯覚させるかもしれない。過度な甘やかしの中で育った人は、自分の欲求が相手に見えているはずだという幻想い抱くかもしれない。

Noを言うのが難しい相手には、さまざまな戦略が必要になる。いずれにしても、Noを言うことができれば、良いものを受け入れ、悪いものを遠ざけることができるようになる。周りの人からしてみれば、「わかりやすい人」であり、付き合いやすい人になる。Noが言えないと、我慢して、突然不機嫌になってしまったり、関係を切ってしまったりしてしまうかもしれない。すると、周囲には困惑するかもしれないのだ。Noが言えると、Noを言える健康的な人との繋がりも増えていく(その方が楽で心地よいから)。

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