生きる意味がわからない

対人関係・愛着

生きる意味」について考えたことがあるだろうか?私は精神科で臨床をしてきたこともあり、「生きる意味がわからない」という訴えを数多く聞いてきた。恐らく、多くの人が生きる意味を知らずに日常を送っている。そういう意味では、今の生き方への違和感に気づいてしまい、それに苛まれている状態と言えるかもしれない。生きる意味がわからないとは、今の生き方に意味が見出せないということである。逆説的に考えると、生きる意味を持つことに渇望していることにもなる。どうしてこんなに苦しい日々を続けなくてはいけないのか、いつまで続くのか、解放された状態はどんなものなのだろうか、理想的な状態からかけ離れている自分は何なのだろうか?という思いが駆け巡るかもしれない。そういったことに耳を傾けていくと、そういった思いに関連する人間関係があることに気づく。

よくある話のひとつを紹介してみたい。生きる意味を見失った人の中には、評価や賞賛を与えてくれない誰かに尽くしてきた歴史があったりする。それは、良い成績を取る愚痴を聞いてあげるいじられ役を引き受ける常に笑顔でいる、激しい批判や喧嘩に巻き込まれないよう気配を消して過ごすことだったりする。そうすることで、目の前にいる親、子、配偶者、時に上司などが荒れずにすんだり、穏便に物事が進んだりする。ところが、人に合わせていると、自分の心はわからなくなっていく。自分の心がわからないと、何が心地よくて、何が辛いかの判断がつかなくなる。それでも、その生き方を手放すことは容易ではなく、むしろ、そうする以外に方法がわからないという人が多い。

多くの場合、このような生き方は生き抜くための方法になっている。そうであれば、その生き方を変えることは大きな恐怖を伴う。だからこそ、変えようと思っても、元に戻ってしまうものなのだ。「生きる意味がわからない」とは、この終わりのない関係性に、心底絶望している状態なのではないかと思う。どれほど尽くしても、先読みしてその人を喜ばせても、一向に空虚感がなくなっていかない。ここから回復するには、自分の心を知る必要がある。何が好きか、嫌いか、何が得意か、不得意か、何が楽しくて、何がつまらないかを、言葉にしていくと、徐々に自分の心が見えてくる。そして、それを分かち合ったり、他人の中に自分との共通点や独自性を見出すことで、徐々に自分の姿が見えてくる。

自分自身を誰かに見せても、関係が破綻しない、むしろ関係が深まるという体験をもって、自分が自分でいても良いのだと思えるようになる。これは、今までの生き方とは大きく異なるものなので、少しずつ練習をしていくことと、それに伴う不安抑うつに対処することが必要になる。もしこういった取り組みに興味があれば、カウンセラーを利用することも一つの手だと思う。

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