気が休まらない

対人関係・愛着

常に何かを考えていて、気が休まらないという人がいる。他人への気遣い、予定、仕事、家事、趣味など、考える内容は様々だろう。楽しいことを考え続けているのなら、特に問題がないのかもしれない。ところが、いつからか義務的になり、果てしなく何かを追求し始めると、何か違和感が芽生えてくる。すると、だんだん歯止めが効かなくなり、果てしなく作業や準備をしたり、何かを調べ続けたり、あるいは人と会った後に「言うべきでなかったこと」を思い返して自分を打ち叩く人もいるだろうか。このような状態は、人といるときに感じるもの、1人でいるときに感じるものとの2つがある。

人といるときに感じるものは、自分は大丈夫なのだという安全、安心の欲求が背景にある。安心、安全の欲求は、継続する関係の中でしか満たされない。多かれ少なかれ、人は傷つけあったり、誤解したりする。このような出来事は、関係が修復されたり、誤解が解けることで、安心と安全に変わっていく。つまり、関係が断絶すると、その解決は自己完結するしかなくなる。自分は大丈夫だった根拠を探したり、次はどうするかという思索が続くが、関係の回復が体験されない。結果的に、自己不全感や拒絶感は、絶えず頭の中をループすることになる。いつしか、相当な努力をしないと関係が継続しないと考え、過剰な気遣いや配慮を追求するようになるかもしれない。このような状態を嗜癖的承認欲求と呼ぶことがある。

1人でいるときに感じるものは、1人でいると湧き出てくる虚無感や孤独感が背景にある。基本的に、人は1人でいるほうが不安を感じやすい。誰かと一緒にいて、話をすることで、安心した経験がある人は、1人でいてもさほど苦痛にならないことが多い。そうでない人は、何かに打ち込んでいないと、虚無感や孤独感に向き合ってしまうことになる。このような感覚が辛ければ辛いほど、何かに没頭せざるを得ない。停滞感、不全感を誰かと共有する習慣がない人は、このような感覚を非常に恐る傾向がある。何かをしていたいという衝動を保留することも、大変に不快なことなのだ。1人でいることを好む人は、このような感覚に向き合うことに不慣れな場合がある。

では、どのようにすれば、これらの状態から脱することができるのか?それには、二つのプロセスが必要になる。1つ目は、気づくことだ。先に述べたような傾向は、自動的、かつ瞬間的に沸き起こる。2つ目は、今ある感覚を検証することだ。なぜかというと、このような感覚が芽生えると、人は理性を失いやすいからだ。人が理性を失った時の反応は、①思考と現実が混同される、②目に見えること(相手の言動、表情)だけで判断する、③正論や常識的な考えで感情を抑え込む(結果的に他者を遠ざけたり、誤解される)などになると言われている。このようなときには、誰かと振り返りをし、他人の視点と自分の視点を比較しながら、現実を検証していくことが必要になる。

上記のような状態にあると、自分だけで自己俯瞰するといつも通りの見解しか思い浮かばない。人と付き合うことは期待通りにならなかったり、煩わしかったりするので、少しずつ自己開示と意見を聞くことを初めていくと良いと思う。

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