毒親ブーム

対人関係

昨今は、生きにくさを訴える人が増えている。その原因が自分の親の子育てであったり、発達障害であったりにあることを知ると、どこかしっくりくるようだ。人は何らかの答えを求めるものなのだろう。しばらく前に、毒親ブームがSNSを中心に巻き起こり、多くの人がこの言葉を知るようになった。私のところにも、自分の親が毒親なのではないかと思ったり、または自分が毒親なのではないかと悩み、相談に来られる方がいる。そもそも、毒親とは何か?毒親と言えるような親を持った場合、どのようにしていけば良いか?少し考えてみたい。

毒親には、明確な定義はない。過干渉な親、支配的な親を指すことが多い。友人関係、進学、就職、結婚などに過度に言及し、反論や反対をすると過剰反応をしたり、関係を断絶する。子供であれば、親に合わせざるを得ない訳だが、成長していくと人は自我を持つようになる。思春期になれば、親の世話や意向から離脱して、親も子育ての役割から脱却していくのが通常である。ところが、幼少期、児童期の関係のパターンを離脱できない親子関係がある。親にゆとりがなかったり、過度な責任や期待があったりすると、このような状態になることが多い。このまま成人になると、(親以外人にでも)意見を言われただけで無力感を抱いたり、相手の機嫌が悪くなるだけで意見が言えなくなったりする。このように、「人に対して抱く感覚」を愛着と言う(厳密に言うと少し定義が違うが、私はそのように考えている)。

人と近しい関係になると、批判される恐れが生じたり、先回りして相手の必要を満たそうとしたくなったりする人がいる。これは、無条件的に再生される関係の取り方である。このような感覚は、幼少期に獲得されると考えられており、成人になっても持続することが多い。結論から言うと、この感覚を変えていくことは可能である。ただ、相当な違和感、不安、罪悪感が生じる。なぜかと言うと、親と関係を続けるために身につけた行動パターンであるので、行動が破綻する予感がするのだ。人間にとって、関係の破綻は、非常に心地が悪い。社会的死という言葉があるが、人は拒絶を死と捉えるほどに、生存と関係が密接に関連している。

毒親と思われる親に今の生きづらさの原因があると気づくと、親を責めるようになる人がいる。ある意味自然なことではあるし、そういう時期を経て変化していくものではある。親を責めても、相手が謝罪してくれたり、自分の生きにくさを変える手伝いをしてくれる保証はない。親が罪悪感を抱いて、色々と手を差し伸べようとすることもあるのだが、ほとんどの場合うまくいくことはない。親を支配して、様々な要求をしても、結局生きにくさが変化することはないのだ。では、どうすればいいのか?この問いは、私自身も長きに渡り考えて続けてきたことでもある。多くの書籍を見ると、「自分を大切にする」、「良いところも見る」、「好きなことをする」など、いろいろな提案があるのだが、どれもしっくり来ない。問題には気づいたけれど、結局どうしようもないと途方に暮れている人は、意外といるのではないだろうか?

この解決は、新たな関係を学ぶことにある。先回りをする人は、先回りをすることで、関係が存続すると体感している。支配的な親や過干渉な親と過ごしてきた人は、独特な生き方で関係が持続すると条件づけられている。だから、違った関係性を体験しない限り、今ある生き方は変わらないのだ。毒親と言われる人と育ってきたのであれば、過度に我慢をするか、相手を圧倒するような行動を取ることで、生き延びてきているはずだ。こういったこと以外で、関係が存続することを学習しなくてはいけない。なので、ある程度余裕がある人で、対等な関係を構築しようと願っている人に出会い、これまでとは違った行動を試し、その上で関係が破綻しないことを体感する必要がある。「ここまで言っても話合いが成立するんだ」、「相手を挑発しなくても要求を受け入れてもらえるんだ」というような経験だ。それを試すことは、常に関係の破綻を予感するはずで、だからこそ避けたくなる。今までと違う行動を取ると、急に依存したくなったり、強迫的に自己完結したくなる人もいる。

失敗はつきものだが、継続していくと、親子関係とは違った関係を手にすることができる。その時に「これでいいんだな」と穏やかに自分の変化を認めることができるようになる。親とは違うタイプの人と付き合うことも意味があり、それは心地よいこともあれば、違和感を覚えることもある(批判的な親を持っていれば寛容な人、寛容な人は優しいが、いい加減に見えたり、物足りなく見えたりするのだ)。少なくとも、「自分がやっている関係の取り方以外にも、方法があるかもしれない」、「そういう生き方をしている人がいたら、実際に見てみたい、観察してみたい」と思うことがスタートになる。不思議なもので、そういうマインドセットでいることが羅針盤になるように思う。もうひとつ生じる問題として、「親に理解してもらいたい」、「いつかわかってくれるのではないか?」という思いがある。先にも言ったように、親の変化を期待すると、非常に苦しい道のりになっていくことが多い。親を手放す必要があるのだが、これについては別の機会で述べることにしたい(分離不安と言ったりする)。

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