洗浄強迫の治し方

強迫性障害

洗浄強迫とは、手洗い、入浴、清掃、消毒などが過剰となり、生活に支障をきたす状態を言う。メディア等で紹介されるのは洗浄強迫であることが多いが、症状が実際に目で見えるという特性によるものかもしれない。ただ、汚れの有無を心的に確認する人もいることから、心的儀式(頭の中で強迫行為を行うこと)との重複もあり得る。重症になると、手洗いや入浴に、数時間から10時間以上を費やすようになるケースもある。家族にも、入浴や消毒を強いることもあり、場合によっては、家族が家に入れない、または自由に行動できないということも少なくはない。多くの場合、全てにおいて洗浄を行うのではなく、限定的な場所や状態のみが気になり、その他は掃除をしない、洗わないという人もいる。

洗浄強迫の多くは、ある時点で汚染されていう事実に衝撃的に気づいてしまい、そこから執拗に洗浄を繰り返すようになる。発症してからの期間が長くなると、洗浄の仕方は複雑になり、時間も長くなる。綺麗になったと言う感覚も、だんだんと得にくくなるため、さらに洗浄が過剰になる。洗浄している間に、感情が昂ると、洗った回数や拭いた回数が把握できなくなってしまい、やり直しを繰り返すケースも少なくない。本来は、清潔感を維持するための洗浄が、洗浄すること自体が負担になってしまう。そうすると、入浴が長くなることを避けるために入浴しない、手洗いや清掃を避けるために外出をしないということにも発展する。

これを治すためには、まず、原点に返り、なぜ洗い始めたか、何が汚れの対象かを振り返ってみる。必要であるから洗浄があるわけだが、本来的に洗浄が必要か、必要であるなら、どの程度が適切かを納得はできなくても、理解することが重要だ。そうでないと、どこまで強迫行為を減らして良いのかもわからず、永遠に終わらないレースに身を乗り出すことになる。よく勘違いをする人がいるのだが、洗浄は悪ではない。誰もが外出から自宅に戻ったら手を洗う。清掃も入浴もした方が清潔だ。なので適切な量になればよく、不潔な人間になる必要はないということだ。この辺りを掘り下げつつ、現在の洗浄が過剰であるという認識を得たら、次のステップに進む。

強迫行為をやめるには、汚れている感覚に耐える力を高めていく必要がある。罹病期間がなくなると、実際には汚れている感覚に過敏になっている。だから、微細な感覚でも洗浄が開始される。ただ、急に止めることはできないので、普段の洗浄や清掃のやり方を変えてみる、短時間で終わらせるということから始める。これだけでも不安を高めることができるし、これくらいだったら耐えられるという記憶を作っていくことが大事だ。特に、強迫行為を変容させる取り組みを始めた頃は負担度が高く、自分を責めたり、がっかりしやすい。儀式をせずに不安を感じられることを成功体験とし、成功体験の確立を限りなく高めて計画を立てることが重要だ。

徐々に、汚れている感に耐えられるようになると、汚れている感と実際に汚れているのとは、違うことにも気づいていく。洗浄をしない方が楽だという経験も増えていくため、もう少し減らしてみようかとも思えるようになる。自宅を聖域にし、汚れを持ち込まないようにしている人にとっては、自宅を汚してしまうことを非常に恐れ、取り返しのつかないことだと捉える傾向がある。この場合には、一時的に環境を変え、不安や不快感に対する過敏さを減らすように試みてみる。環境が変わると強迫行為が再現されないこともあれば、多少強さが変わり、健康的な食生活、睡眠が戻ってくることがある。ある程度健康で、余裕がないと、なかなか変化は起こせない。下地を整えた方が、あとの回復が早くなることも少なくないと思う。

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