自他境界線

こんなことはありませんか?

  • 相手の気持ちを確認できないと不安になる
  • 相手を問い詰めたり、責めたりして、後で自己嫌悪になる
  • 自分を認めて欲しいという期待が高いため、そうならないとひどくがっかりする
  • 心のどこかで、人は自分を嫌っていると確信している
  • ふと我に帰ると、自分が何を目的に行動しているかがわからなくなる
  • 自分には人から愛される要素が欠落していると思う
  • 他人の何気ない言葉が、拒絶や自分の人格否定として受け取れてしまう
  • 何かに没頭していないと、心が空虚になって耐えらくなる

心の発達と自他境界線

大なり小なり、多くの方がこのようなことを考えたことがあるのではないかと思います。しかしながら、常に自分が異質な存在と考えていたり、他人と共存することが不快であるとするならば、非常に辛い人生を生きていると言えます。このような感覚は、多くの場合、周囲との関係がうまくいっていない時、または孤立している時に生じるものです。もともと人間は、生まれてきた時には、完全に無力で、心は不安に満ちています。成長するにつれて、この不安に耐える心を養っていくため、一人で過ごすことができたり、人と適度な距離を持ちながら、自分の人生を生きるようになっていきます。

心理学では、このような心の発達(発達障害とはニュアンスが異なります)の観点から、生きづらさがどう生じているかを考えることがあります。先に述べたような訴えは、何らかの特性や境遇により、何らかの外傷体験を持つ方に、とてもよく見られる傾向です。このような心の傷つきを、発達性トラウマ、複雑性PTSD、境界性パーソナリティ障害、または少し古い言葉ですが、アダルトチルドレンと言ったりすることもあります。これらの特徴は、どれも対人関係の中での経験が現在に影響していること、そして対人関係に影響をもたらすことです。さらにその中で、あり得る共通点は、自他境界線の課題です。自他境界線が不全であると、健全な心は育ちにくいからです。

自他境界線とは、自分の心と他人の心を分ける境目です。虐待や支配関係では、「あなたの気持ちや考えはこうなんだね」と大人の目線からのフィードバックが乏しくなります。ある程度養育者にゆとりがあれば、子供が何を感じていて、何を考えているのかを分析することができ、それを子共にフィードバックすることができます。子供は自分を客観的に見る事は、大人ほどはできません。ですので、このような大人のフィードバックを借りながら、自己理解を深めていきます。

子供が必要とするときは、喜びを共有したい時だけではなく、不安やストレスがかかっている時です。このような時に、大人が感情的になり極端なフィードバックをすると、そのフィードバックに引っ張られて、自分の心の状態を知ることが難しくなります。また、養育者が無関心であったり、ゆとりがなかったりしてフィードバックが欠如すると、自分の心がどういう状態かに関心を払わなくなってしまいます。必ずしも、養育者のフィードバックは完全なものである必要はありません。むしろ、その誤解を話し合うことで乗り越えることによって、説明すれば通じるという信頼感が育ちます。そして、自分と他人とは違う心を持っているという自他境界線の獲得にもつながります。このような経験の乏しさは、虐待、ネグレクトでなくても、親の多忙、病気、不仲などでも、ある程度は起こり得ることと言えます。

自他境界線が作られる過程

自他境界線とは、自分と他人を分ける線のことですが、これが曖昧になるといろいろな問題が起こります。自他境界線を育む中で、自分が誰か、自分の心は個別のものだと学んでいくからです。平たく言えば、自分がわからない状態により、無理をしすぎる、意見が言えない、過剰適応する、人と一緒にいると侵略されている感覚になるなどの問題が生じます。

自他境界線が構築されるには、重要なのは反抗期です。人の成長には、主に2つの反抗期があります。この反抗期は、自分と親を分けるために必要な時期です。親にとっては、かわいかった子供がイヤイヤ期に入ると大変ですが、思春期になるともっと激しくなることがあります。

反抗期は、自己主張と妥協を学ぶ期間です。若いうちに、親子で自己主張と妥協を学べると幸運です。しかし、最近は反抗期を経験せずに思春期を過ごす人が増えているようです。これは、親が反抗期に耐えられず、過度に叱ったり、先回りして子供の自己主張を阻んでしまうことが原因です。

心理学で「投影同一視」という言葉があります。これは、過去に満たされなかったり傷ついた経験があると、自分の感情を他人も感じていると思い込むことです。例えば、「自分が傷ついてきたから、配偶者に反論できない」「かなわなかった夢を子供に託す」「自分が受け入れられないから社会も拒絶するだろう」などです。こうなると、自分と他人の境目が曖昧になります。

人は自分の本当の姿を知りたいという欲求があります。親も子供も、自分はどういう状態なのか、何者なのかを確かめたくなる瞬間があるはずです。でも、これが過度になると、他人の評価や承認に敏感になりすぎて、自分の本心や欲求が分かりにくくなります。この課題は、人の期待や思惑は分かるけど、自己主張ができなかったり、決断ができないという形で現れます。

対人関係に現れるサイン

自他境界線の課題は、関係の質にも現れます。いつも同じような人と付き合い、関係の破綻や燃え尽き、抑うつを経験しているのならば、自他境界線の曖昧であるか、過剰である可能性があります。今回は、人が担いやすい苦しい役割についてお話しします。5つのパターンをご紹介しますが、これはアルコール依存者の家族が担いやすい役割だとされています。機能不全な家族でも起こりやすく、自分がどれに当てはまるかを考えてみるとよいでしょう

  1. ヒーロー:常に優秀であり続け、他者の期待に応えます。賞賛は大きな喜びである一方、失望されることは恐怖です。限界を超えた努力をし、過剰なまでの成果主義に徹しますが、限界を表明することを嫌います。ヒーローの課題は、限界の認識し、共有しても関係が成立するという体験が不足していることです。
  2. スケープゴート:家族やグループの憎まれ役になり、文句を言われたり批判の対象になります。誰かを見下し、批判していないと空虚な自分に耐えられない人と一緒になります。他人を責める暴力的な人を選ぶことで、弱者のポジションを取ります。スケープゴートの課題は、自分の不利益やネガティブな感情を認識し、共有しても関係が成立するという体験が不足していることです。
  3. ロストワン:気配を消して、目立たないようにします。自己主張や要求をしない代わりに、悩みや困りごとの解決を自己完結します。過干渉な家族でも、自立や自由意志を過度に尊重する家族でも起こります。ロストワンの課題は、常に意見を言わず、自分の欲求や感情を切り離して、他者との関係を成立させていることです。自分の欲求や感情を切り離さず、共有しても、関係が存続する経験が不足しています。
  4. ケアテーカー:常に誰かの世話を焼き、尻拭いをします。自分がいるから助けている人が破綻せずに済むと感じることで承認欲求を満たします。他人を助けることで自分の世話をする余裕がなくなり、自分の生活が無頓着だったり破綻していることもあります。ケアテーカーの課題は、自分の負担、無力感(助けられない)、不快感(助けたくない)という感情を共有して、成立する関係が不足しています。
  5. ピエロ:いつもおどけて、冗談を言い、馬鹿なふりをして家族内の緊張を緩和します。周囲からはお調子者に見えますが、本人は深い孤独を抱えています。お調子者を演じているうちに、自分が誰であるか、本心がどこにあるのかわからなくなり、虚無感を抱えながら笑っています。ピエロの課題は、関係の不和や対立が、互いに本音を言い合って回復に至る経験が不足しています。

これらの役割を手放すには、自分のパターンに気づき、少しずつ行動を変えることが必要です。しかし、大きな違和感を伴うことがあり、一時的に苦しくなったり、生きている感覚を失うこともあります。一人でこの試練を乗り越えるのは大変です。関係の問題は関係の中で解決されるため、上手に背中を押してくれる人や、手放したいけれど手放し難いという葛藤を共有できる人に支えてもらうと、前進しやすくなるでしょう。