生きる意味の見つけ方

自己理解

カウンセリングの中で、生きる意味がわからないという訴えを聞くことがある。日々が充実していたり、忙しい日々を過ごしていたら、生きる意味を自分に問うことはあまりないかもしれない。逆に、心身が疲弊してくると、このようなことを考えることが増える。自分の存在意義がないという違和感に気づいてしまうと、その違和感はなかなか振り払えない。無意味感、虚無感、無意味感は、直視するほどに大きくなっていく。

生きる意味を感じることができるとしたら、どんな時だろうか?所属する場所で役割を持っていること、その中で貢献し役に立っている感覚を持てることだろうか?自分の才能と特異性を見出し、それを使うことに喜びを見出すことだろうか?または、スピリチュアルな存在(神、霊、宇宙など)との関係性(使命を与えられ、この世界に招いた存在との)かもしれない。

いずれにしても、生きる意味は1人で見出すことができない。生きる意味を見失う時、そこにあるのは他者との断絶、拒絶がある。これまで人に傷つけられたから、一人でいる方が楽だと思う人もいるだろう。誰かに迷惑をかけるよりは、1人で全てを完結したいという人もいる。逆を言えば、人と一緒にいることに安全感、安心感がないということでもある。

生きる意味が、絶えず忍耐することであったり、支配関係(依存関係)の中でしか生きている感覚を得られない人もいる。長くこのような状態に身を置いていると、自分の感覚がわからなくなっていく。主体性を持つことは恐怖であったり、非常に厄介な状況を招くこととして認識される。主体性を損なう時、心の中は空っぽになっているはずだ。生きる意味を問うことは、気だるい感覚さえ覚えるかもしれない。

生きる意味の欠如は、安全な関係性の欠如であり、安心、安全の欠乏によって起こる。自分以外の人々は、生きる意味を持っているはずなのにと絶望する人もいるだろうか。実際には、多くの人がこの生きる意味の不確かさを感じながら生きている。人と親しくなる機会を持つことができたら、その事実を知り、あなたの孤独は癒やされていく。あなたは、真の友を得るのだから。

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