心と身体の関係

自己理解

前職では、神経内科に所属していたこともあり、さまざまな体の病気で治療している方のカウンセリングを多数行ってきた。パーキンソン病、ジストニア、不随意運動症、多発性硬化症、ALS、慢性疼痛など、通常の治療(薬や外科手術など)で効果が得られず、心理的な要因の関与が疑われる方の紹介を多く受けてきた。今まで、あまり語ってこなかったのだが、身体疾患の臨床経験を埋もれさせていくことは非常にもったいないことであり、これまでさまざまな疑問を抱いてきたことや、患者さんたちとの関わりの中で学ばせていただいたことを、少しでも発信できたらと思うに至った。

そもそも、身体疾患、つまり精神科以外の疾患に対して、心理療法がなぜ適用になるのかというところから始めなくてはならないだろうか。病気を持つということは、それ自体が非常なストレスになる。病気の予後について、治療について、病気を抱えることでもたらされる様々な変化に適応しなくてはならない。まず、こう言ったストレスは、脳機能、免疫機構を介して症状に何らかの影響を与える。そこで、ちょっとした考え方の工夫や、症状がありつつも有意義な時間を増やしていくことなどで軽減することがある。だが、この程度のことは、ほとんどの方はすでに試してきており、なおかつ症状が不変で、あまりにも辛く感じている。

そこで、私は、もともとの体質、特に、不安や緊張に着眼した。多くの疾患は、不安に左右されることは明らかで、症状を悪化させるだけではなく、睡眠や活動範囲にも影響する。ある人は、不安や緊張を経験しやすいのだが、多くの患者さんと話していて気づいたのは、元々はかなりタフな人が多いということだ。非常に活動的で、自己効力感も高く、疲れ知らずで、屈強だった人が、なぜこれほど不安を強く感じるのかが疑問だった。さらに探究していくと、もともとあまり感情を感じる機会がなく、人と共有する習慣が少ない人が一定数いることに気づいた。活動的であるために感情を感じる暇がないくらい忙しくしており、感情を表現することも共有することも、あまり必要性を感じていない方がいる。

人と何かを共有しないでいると、基本的に先取りして行動したり、段取りをしたり、問題を分析し続けることが増える。考える時間が多くなるからだ。これは、実に脳を疲れさせることだ。そして、1人で対処しなくてはいけないと思っていることがあるので、独力で達成したり、対処したりすることに大きな価値を感じている。これは、やはり知らない間に無理をしやすいし、言葉になっていない感情は長く続く傾向があり、不安や緊張となって表出しやすい。このような生活をアレキシサイミアと言っている。

アレキシサイミアは、感情の言葉を持たないという意味だが、感情を表出しない分、たくさんの活動と段取り、警戒が必要になるのだ。これを長期間続けていることが、身体に影響をもたらすのだ。どうしてこのような性格傾向が生まれるのかについては、諸説あるが、養育者との関係がその根底にあることが多い。養育者があまりに反応がない、過度に要求的であるなど、感情表出をしないことで家族が機能していた場合、上記のような状態になりやすい。感情を廃し淡々と生きることを強く願ったり、ポジティブな感情にのみ目を向けようとするかもしれない。

いずれにしても、このような根底にある生き方に気づき、少しずつ自分にとって楽で、健康的な方法を探していくことが身体疾患のカウンセリングになる。身体表現性障害、慢性疼痛にも、同じような傾向を見出すことがある。このような臨床をする中で、愛着や心理発達という概念に出会い、試行錯誤を重ねているのが昨今の私である。

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