恋愛依存

対人関係

私が心理士になる前に、恋愛依存症・苦しい恋から抜けられない人たちという書籍を読んだことがある。本来は心ときめく恋愛関係のはずが、何故苦しみになっていくのかに興味を持った。苦しい恋には、さまざまな形がある。しかし、共通して言えることは、決して満ち足りることがないということだ。求めたり、求められたりするが、どうにも空虚さが拭えない。尽くしたり、捧げたり、束縛したり、試したりしても、結果が同じことはどこかでわかっている。それでも、その苦しい関係から離れられない。そんな状態を「恋愛依存」と定義してみたい。

周囲からも、そんな恋愛はやめた方がいいと忠告されているかもしれない。それでも、今の関係がなくなった状態は、あまりにも空虚で痛々しかったり、罪悪感が伴う。気がつけばいつも通りの関係があることに疲れ始めているかもしれない。なぜそのような恋愛に駆り立てられるかには、さまざまな事情があるだろう。そのひとつには、大きな虚無感と孤独感がある。一般的に、虚無感と孤独感は、他人と時間と経験を共有することで満たされる。平たく言うと、誰かに「〇〇を一緒にやってみないか?」と提案され、一緒にやってみると自分もその人も嬉しい気持ちになる、そう言ったことを繰り返していくと、自分でもやってみようと思える。なぜかと言うと、1人でやっても楽しいし、その結果は誰かと分かち合えることが体感でわかっている。だから、虚無や孤独に耐えられるし、何かに没頭できる。

ところが、こういった関係がなかったり、突然剥奪されたりすると、自分だけで何かを計画し、実行する人生になる。どれだけやっても、自己完結なので、どこまでやっていいかがわからない。そして、どこまで努力しても、一瞬の達成感を味わうのみで、何かをしていないと自分が保てなくなっていく。このような自己完結によってもたらされる虚無感と孤独感は、強迫的世話、完璧主義、摂食障害、強迫症として表現されることもある。自分は大丈夫、自分は存在する、生きている心地がないと自分が保てない。だからこそ、すぐに成立する恋愛関係だったり、どこまでも相手を試したり、自分を無にして相手に尽くしたりということで、自分の存在を確かめたくなる。

恋愛依存からの回復は、恋愛そのものを手放すというよりも、恋愛の背景にある葛藤感情に気づいていくことが必要になる。それを認めつつ、少しずつ抱えられるように練習していく。初めはあまりに耐え難く、死んだ方が楽なのではないかとさえ思えるはずだ。ただ、満たされない自分に向き合い、自分の感情を表現できるようになっていくと、少しずつ殺伐とした世界にとどまれるようになる。そのような中で、100%自分を抱えてもらえない絶望を経験すると、適度な自立と甘え、つまり健全なgive & takeができるようになっていく。その時には、本当の愛はもっと静かで、穏やかなものだと感じるに違いない。

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