依存症の治し方

自己理解

私は強迫性障害の治療に長く関わっている。そんなこともあり、依存症や嗜癖障害にも興味がある。強迫性障害とは異なる部分も多いが、基本的に特定の行動の習慣化である点は共通である。

依存対象もさまざまである。薬物、買い物、ギャンブル、恋愛、食べ物、ゲームなど、人はあらゆるものに依存する。依存症と嗜好の境は、生産性にあると思う。運動でスッキリしたり、気分転換になれば趣味の範疇である。ところが、義務化したり、成果に対して不安を覚え、そのことばかりを考えるようになると話が違ってくる。生活に支障をきたし、生産性は低くなる。それでもやめられないのなら、もはやそれをすること自体が目的になっており、本来の目的を見失っていることになる。

なぜ人は依存するのか?それは、依存対象が快や解放ををもたらしてくれるからではあるが、私は何かにこういったことに没頭せざるを得なかった経緯に着目する。例えば、成果主義や強い承認欲求の背景には、見捨てられ不安が影を潜めることがある。成功した時の有り余る賞賛と、失敗した時の痛烈な拒絶は、努力の必要性を最大に高めることになる。共感される、安心する関係が欠如し、絶えず虚無感に苛まれているのなら、嗜癖行動は大変効果的な情緒安定薬になりえる。

では、どうしたら依存から抜け出せるのか?これは容易ではない。だからこそ依存症と呼べるのだが、やめると離脱症状が苦しいだけでなく、本来ある不安と虚無感がむき出しになる。簡単に言うと、暇になる、やることがない、気持ちのやりようがない、何をしたら良いかわからないという感覚が押し寄せるということだ。この感覚は1人では抱えることは容易ではない。時間の経過とともに慣れていくし、代表品を見つけることもできるが、うまくやり過ごせるよう予定を立てたり、関係を作っておくことが必要不可欠である。

依存とは、心の自己治療だという視点もある。人を信じられず、頼れないので、自力で辛い感情を軽減しようとする。嗜癖障害、依存症の多くは、1人でできる、容易にできるというのが特徴だ。どうしてそういったものがいいのか、人に近づくことがこれほどまでに疎ましいのは何故かを見直してみるとよいのではないだろうか?

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