先日、とある研修会に参加をしていたところ、参加者から「最近は感情がわからない若者が多い」というコメントを繰り返し聞いた。研修会の趣旨が、心を見渡す力についてであったこともある。私もカウンセリングをしていて、喜怒哀楽がなく、非常に淡々と話をする方に会うことがある。私自身、最初は話をしたくないのだろうか、私に対する不満があるのだろうかと、困惑していた。当然怒りを抱くであろう、嫌悪感が表出するであろう話題に対しても、語り方に臨場感がないからだ。
そもそもだが、感情が表出しないと何が問題なのかを私なりに整理すると以下のようになる。
- 周囲の人は感情表出のなさから、話をしたくないのだと考える
- 周囲の反応は無機質になり、結果的に本人もより自己表現しなくなる
結果的に生じる不具合とは、下記のようなことだろう。
- 対話による感情表出がない生活習慣が継続する
- 感情は行動の原動力なので、モチベーションや興味も少なくなる
- 感情が認識されていないため、負担や不満に気づきにくい
- 不満や負担が看過され、心身の限界を超えることがある
- 結果的に抑うつや身体化症状としてストレスが表現される
- 感情が喚起すると見た目は冷静であっても、心の中はパニック状態であったり、隠すことで必死な人もいる
このような傾向は、ストレスが強まっていたり、困っている状況ほど、強くなる傾向がある。そうでない人にとっては、自己開示したり、助けを求めることが通常であるため、理解が及ばない。「強い人なんだろう」とか、「手を差し伸べても振り払われた」とかと考えて、周囲の人はあまり踏み込めないことが多い。特に、困ったときには誰かに自分の話を聞いてもらうことが自然にできる人にとっては、不可解な言動そのものなのだ。私がこのような方に多く会うようになり、アレキシサイミア(無感情症)、愛着(愛着軽視型に代表される)、心理発達(基本的信頼、思春期葛藤)ということに興味を持った。もしこのようなことにご興味があれば、私の他のブログも読んでくださるとご参考になるかも知れない。
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