努力という自傷行為

自己理解

時々こんな相談を受ける。「両親は自由になんでもやらせてくれた、とても感謝していると思っている。それなのに、常に安心できず、緊張して疲れてしまう」のだと。能力や才能は持っていて、成果も出してきた。それなのに、心身の不調が生じている。医療機関を受診するが、明確な原因がはっきりしない。

このような方に、直近のストレスイベントを聞いても、あまり自覚がないか、もう既に解決したと話すことがよくある。色々な人に相談をしてみたが、「あなたはよくやっている」と言われて終わってしまう。よくよく話を聞いていくと、「こうあるべき」という考えだったり、非常に理想が高く妥協ができない性格であることがわかってきたりする。

程々のところで止めることができないのは、①自分の限界がわからない、②成果を出すことに没頭して満足することがない、③限界に達する前に手を止めた時の不快感に耐えられない、とうことがあるかもしれない。なぜこのような状況が生じるかというと、①達成感を共有した経験があまりない、②欲求を保留された経験があまりない、③限界を設定した方が成果を出せるという経験がない、ということであると思う。

干渉が少ない人と一緒にいると、反対されないので楽ではある。でも、どこまでやっても反応が乏しいと、満足感のハードルが高くなる。そして、自分だけで満足を噛み締めても、その満足感に飽きてしまう。または、過干渉な人と一緒にいても、相手に批判される前に先回りをして行動する、批判されないために完璧主義的になるということもあるだろう。

対策としては、①心地よい状態から脱する時点に気づく練習、②限界内だと思ってもペースダウンしてみる練習(その際に感じる不安や欠如感に触れる練習)、③他人が何を限界点としているかを観察し、参考にすることが役立つと思う。

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