自己愛性パーソナリティ障害(続編)

自己愛性パーソナリティ

自分を特別な存在だと思い、他人を自分の評価のために利用する人がいます。自分が優位に立っていないととても不安なので、人を見下そうとするのです。当然周囲の人は傷つきます。それがモラハラになったり、虐待に発展することが少なくありません。周囲の人が傷ついてると本人に告げると、本人は自分が被害者だと言います。周囲の人が理解してくれないから、自分は犠牲者だというのです。このような言動をする人は、自己愛に何らかの課題を持っている人かもしれません。今回は自己愛性パーソナリティ障害について紹介しつつ、健全な自己愛を持つこと、過剰な自己愛について書いてみたいと思います。

自己愛性パーソナリティ障害の方がよくとりがちな行動がいくつかあります。まずは尊大な言動です。注意深く見ていくと、さまざまな行動は繊細な自尊心に基づいたものになっています。これは、特権意識とも表現できますが、外見、能力、地位などを、誰かと比較して、自分の立場を保つということです。外見などはもちろん大事だと思いますが、付き合いを深めていくと、人柄や価値観の大切さも見えてきます。能力がある人は魅力的に見えますが、高飛車だったり、怒りっぽいと、返って敬遠されてしまうこともあるでしょう。人間の魅力は見えるものだけではないのですが、見た目主義的になってしまうのです。

自己愛性パーソナリティの方は自尊心が高いと思われるかもしれません。しかしながら、実際に自尊心が高い人とは、自分には良いところも悪いところもあると思えているものです。ですから、悪いところがバレてしまっても余裕があるのです。「失敗しちゃったごめんね」とか、「僕にはできない、わからない」と余裕を持って笑顔で言えたりします。結果的に、周りの方もそれほど気にならなかったり、許してくれたりすることが多いのです。

自己愛性パーソナリティの傾向を持つ方は、他人と比較するので、どうしても自慢しがちです。そして、自分より能力のない人、立場が低い人と付き合う傾向があります。優越感を感じられないと不安になってしまうのです。不安な時は、攻撃的になったり、自分より劣っている人を見つけて比較したり、逆に自分より優れている人を味方につけようとするところがあります。こういった問題は、家族内、近い関係の中で頻繁に起こります。ちょっとした指摘をするだけでも、「なんでそういうこと言うんだ」とか、「私のことわかってないっていない」と言って、怒り出したりします。周囲が理解してくれないと責めるので、周りもついていけないのです。

さらには、自分にしか興味がないところがあるので、家族が困っているということに気づかないのです。家族が不満を訴えると、本人が怒ってしまい、家族は我慢を強いられていきます。一方で、本人から支援につながることは非常に少ないです。なぜかというと、家族の方が変わるべきだと思っているからです。自分は被害者だと思っていることも多く、自分に向き合うゆとりがないのです。

評価にはとても敏感ですので、評価してくれない人を徹底的に批判します。意見を言ったり、助言をすると、内心では激しく自尊心が傷ついてます。このような振る舞いをしていると、徐々に居場所がなくなっていきます。居場所感がなくなると孤独になりなり、満たされてない気持ちが強まります。すると、さらに特別感を求めて対処しようとするのです。そして、特別感を求めると、基本的に周りの人は疲れてしまうので、離れていきます。だからこそ、自信のない人、控えめな人を好むようになるのです。

甘やかし自己愛性パーソナリティの原因の一つに、甘やかしがあります。親であれば、時々は我が子を甘えさせてあげたいと思うものでしょう。しかしながら、度を超えた甘やかしが境界性パーソナリティの原因になっていることがあります。例えば、困ったことが起きたとします。その時に、周囲の大人が「あなたは特別だから大丈夫」と言ったり、「周りの子たちのレベルSimplicity | 内部SEO施策済みのシンプルな無料WordPressテーマが低いから、あなたのことを理解できないのよ」と言ったとします。これは、優しい大人親のようにも見えますが、親の自己愛が強く反映されています。人間の良い側面だけを見ようとしているからです。人間はすばらしいとか、人間には才能が備わっているとか、誰もが平等なんだという考え方は、確かに素晴らしいことです。しかしながら、やっぱり人間には駄目なところもあるし、出来ないこともあったりします。社会に出れば不幸なこともあるわけなので、良い側面だけを見ていると、脆い人間に育ってしまうことがあるのです。ですので、このような賞賛をされ続けると、駄目なところに向き合うことができないのです。もちろん、駄目なところに向き合ってばかりいたら、打ちひしがれてしまいます。けれども、適度に凹むことがあると、打たれ強くなったり、工夫したり、教えを乞う謙虚さが身に付いていきます。努力してもできないことを見極めて、得意分野を見つけて伸ばしていくことにも繋がります。このようなプロセスを経て、健全な自己愛は育まれていきます。

困ったことが起こる度に、たくさんのサポートが提供したり、先回りして本人を助けるご家族がおられます。必ずしも悪いことではありませんが、問題が起こるのは家族が支えきれなくなった時です。例えば、両親が高齢になったり、経済的に大変になった時、自立に対して必死に抵抗したりします。暴れる、激しい口論なとが起こると、家族は支援を継続することになります。能力や忍耐力が低いまま、長い時間が過ぎていますので、保護の外に放り出されるのはとても怖いことなのです。この不安は、さらなる自己破壊的につながることがあります。そうすると家族の方が参ってしまい、本人の要求を飲み続けて家族が疲弊するという悪循環が起こります。

自己愛性パーソナリティは回復しないのではないかと思われるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。当事者が自分の問題に気付いたとき、どうなるのでしょうか?当事者が自己愛性パーソナリティの傾向に気づくと、自分が非常に苦しい生き方をしていたことに向き合い始めます。自信の無さを一生懸命に隠して生きてた現実があります。そして、それを誰のせいにもできない現実があります。そこから目を背けるために、自分をよく見せようとしたり、アルコールなどで自分を麻痺させてきたのです。何をやっても、自信のなさは無くなりません。現実を見てしまった時には、死んでしまいたいと思うほど落ち込む方もいます。

この自己愛性パーソナリティの傾向は少しずつ手放していった人は、多くの人が弱さを抱えて生きていることに気づいています。つまり共感性が養われていくということです。自尊心を守るために、人と比べて一生懸命自分をアピールしてきた方々ですが、人と違う自分を目指す生き方が、苦しいことなのかを自覚していきます。見た目主義も、評価主義も、長くは続けられないのです。そして、人の評価は簡単に変わってしまうもろいものです。でも何も自分には何もないことがわかったら、思いの外楽だったと思われる方が多いのです。そんなわけで、良くなるために必要なことは、空虚な自分に気づくことです。これまでは、きちんと自分と向き合ってきていないと思いますが、他人から見て自分はどう見えてるのかを知ることが良いのです。そして人の気持ちや葛藤を理解することも、とても大事なことです。

人にも感情があり、辛い気持ち傷つきがあることに理解を示すことです。このように、共感し合う関係が持てれば、それなりの評価してもらえるようになります。一生懸命自分を着飾るよりも、時間をかけて相手の気持ちを理解し、健康的な関係を持つまこれが解決策とうことになります。すぐ手に入るものとか、ぱっと見てわかることを求めがちで、時間をかけることがとても苦手な方が多いです。自己理解を深めること、そして物事を忍耐して習得することが大切です。対等な関係を築くということも、時間がかかることです。試行錯誤したり、忍耐したり、失敗したりを経て、だんだんと築き上げられていくのが物事の道理です。時間をかけて学ぶことを覚えていかないと、本当に必要なもは手に入りません。こういった現実に気づいていくと、自己愛性パーソナリティ傾向をだんだん手放していくとができるようになります。

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