境界性パーソナリティ障害

境界性パーソナリティ

境界性パーソナリティ障害とは、見捨てられ不安、自傷行為、物質乱用、感情制御の困難さ、暴力、不安定な自己像などを特徴としたパーソナリティだとされている。DSM(米国精神医学会の診断マニュアル)の診断基準は、境界性パーソナリティ以外の人(双極性障害、自閉症スペクトラム症、知的な制限がある人、感情の制御が難しい人)にも適用されてしまうことがある。支援者にとっても、YouTubeをはじめとしたSNSでも、どこか付き合いにくい人として提示されている。実際には、複雑性PTSD、愛着障害、心理発達の観点から、必要な取り組みを見極めていくことが必要になる。

そもそも、境界性とは何のことを言っているのだろうか?いくつか考え方がある。まず、精神病圏(現実検討が困難、妄想など)、神経症圏(現実検討が可能)の境目であるから境界例と表現するというものがある。もうひとつは、自他境界線の課題が顕在化したパーソナリティとも言うことができる。自他境界線とは、自分の心と人の心を分つ境目のことである。虐待や支配関係により、「あなたの気持ちや考えはこうなんだね」と言われるような経験が乏しくなると、他人の気持ちを自分の気持ちと混同して行動したり、自分自身がわからないという心性が生じる。このような心的状態が、対人関係感情調節の問題を生じさせるのが境界性パーソナリティであるとも言える。自他境界線が確立している人は、何を言っているのかが理解できないかもしれない。

境界性パーソナリティには、虐待経験が背景にあることがある。虐待経験により、PTSD症状(回避、過覚醒、再体験)を伴い、自己非難の強さ(生きている価値がない、全てにおいて劣っている)で、非常な生きにくさを経験する人もいる。こう言った状態を複雑性PTSDと呼ぶこともあるが、関係性が近くなったときに症状を経験しやすい。かつては、アダルトチルドレンと言われていた概念も近しい物がある。アダルトチルドレンとは、人生の早期に親子逆転し(親の面倒を見る、親の方が子供のような状態であるがゆえ)、自分を認めてもらうための過剰な努力が嗜癖化し、強迫性障害、摂食障害、依存症などに発展することがある。いずれも、対人関係の問題と感情調節の課題がそこにはある。

そもそも、境界性とは、自他が混同している状態である。幼い子供は、自分と他人との区別がついていない。自分の世界が独立していると知らないのだ。それが、周囲の大人との関わりの中で、感情を訴えたり、自己主張をすると、話をしたときにわかってもらえる話をしないと誤解が生じるという経験をする。こう言った中で、自分の心を言語化することを習得し、言葉を使った感情調節ができるようになる。その末に体得することは、「自分の心は自分のもの」という感覚だ。「人がどう感じても、自分は自分の感情がある」、「自分がどう感じても、必ずしも他人に影響を与えない」考えるからこそ、自由があるし、対話がある。

自分の心がわからなければ、ポジティブな感情もネガティブな感情もわからない。他者との関わりで自分の心を知らないということは、相手が関心を向けてくれるという記憶がないということだ。だから、信頼の根拠が心に存在しない。そうすると、とにかくしがみつくか、努力をするかで、見捨てられないという確固たる理由を作らなくてはならない。これが生きづらさを産んでいく。人から誤解されたり、無理難題を言われても、自分の心の動きがわからないのは、スピードメータがない車と同じだ。心が壊れそうになっても、違和感が生じなかったり、過剰な反応が起こってしまう。言葉になっていない感情は恐怖感として経験されることも多い。こういった関係を、安全な状況の中で再構築することが必要になるが、自分が受け入れられるはずがないと確信している人が多く、自分を労わる許可を出せるようになるまでが忍耐と時間を要することになる。

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