境界性パーソナリティ障害とは、見捨てられ不安、自傷行為、物質乱用、感情制御の困難さ、暴力、不安定な自己像などを特徴としたパーソナリティとされています。DSM(米国精神医学会の診断マニュアル)の診断基準は、境界性パーソナリティ以外の人(双極性障害、自閉症スペクトラム症、知的な制限がある人、感情の制御が難しい人)にも適用されてしまうことがあります。その背景には独特の理由や心理があります。実際には、複雑性PTSD、愛着障害、心理発達の観点から、必要な取り組みを見極めていくことが必要です。
そもそも、境界性とは何を意味しているのでしょうか?いくつかの考え方があります。まず、精神病圏(現実検討が困難、妄想など)と神経症圏(現実検討が可能)の境目であるから境界例と表現するというものがあります。もうひとつは、自他境界線の課題が顕在化したパーソナリティとも言えます。自他境界線とは、自分の心と他人の心を分ける境目です。虐待や支配関係により、「あなたの気持ちや考えはこうなんだね」と言われるような経験が乏しくなると、他人の気持ちを自分の気持ちと混同して行動したり、自分自身がわからないという心性が生じます。このような心的状態が、対人関係や感情調節の問題を生じさせるのが境界性パーソナリティです。自他境界線が確立している人には、この独特な葛藤を理解することは難しいかもしれません。
境界性パーソナリティには、虐待経験が背景にあることがあります。虐待経験により、PTSD症状(回避、過覚醒、再体験)を伴い、自己非難の強さ(生きている価値がない、全てにおいて劣っている)で非常な生きにくさを経験する人もいます。こういった状態を複雑性PTSDと呼ぶこともありますが、関係性が近くなったときに症状を経験しやすいです。かつては、アダルトチルドレンと言われていた概念も近しいものがあります。アダルトチルドレンとは、人生の早期に親子逆転し(親の面倒を見る、親の方が子供のような状態であるがゆえ)、自分を認めてもらうための過剰な努力が嗜癖化し、強迫性障害、摂食障害、依存症などに発展することがあります。いずれも、対人関係の問題と感情調節の課題があります。
そもそも、境界性とは自他が混同している状態です。幼い子供は、自分と他人との区別がついていません。自分の世界が独立していると知らないのです。それが、周囲の大人との関わりの中で、感情を訴えたり、自己主張をすると話をしたときにわかってもらえる、話をしないと誤解が生じるという経験をします。こういった中で、自分の心を言語化することを習得し、言葉を使った感情調節ができるようになります。その末に体得することは、「自分の心は自分のもの」という感覚です。「人がどう感じても、自分には自分の感情がある」、「自分がどう感じても、必ずしも他人に影響を与えない」と考えるからこそ、自由があるし、対話があるのです。
自分の心がわからなければ、ポジティブな感情もネガティブな感情もわかりません。他者との関わりで自分の心を知らないということは、相手が関心を向けてくれるという記憶がないということです。だから、信頼の根拠が心に存在しません。そうすると、とにかくしがみつくか、努力をするかで見捨てられないという確固たる理由を作らなくてはならないのです。これが生きづらさを生むのです。人から誤解されたり、無理難題を言われても、自分の心の動きがわからないのは、スピードメータがない車と同じです。心が壊れそうになっても、違和感が生じなかったり、過剰な反応が起こってしまいます。言葉になっていない感情は、恐怖感として経験されることも少なくありません。
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